日記・・・身近な暮らしで

来てくださって、ありがとうございます。
暮らしの中で見たことや感じたこと、考えたことを
私のメモのつもりで書いています。

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2018/06/01 (金) | -
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 伊豆大島の災害に遭われた方のお話をネット上で見て気になっていた。
「三原山の山肌が剥がれた所には幹線道路が通っておりその道路の下からかなりの幅の山肌が剥がれていました。 年老いた人たちは自然の山に道路を作ったから山肌が剥がれ落ちたのだと言っています。」
長いあいだそこで暮らしてきた人達のお話は重いと思った。
ただ、素人の私にはどういう道筋でそうなるのかわからなかった。
きょう届いた反農薬東京グループが発行している「てんとう虫情報」の植村振作さん(出雲市健康被害調査委員会委員)の記事を読んで少し理解できたような気がする。
ちょっとだけ転載させていただく。
「・・・大きく崩壊したところは、そのスタート地点が横一列になっており、しかもそこが道路に沿っています。・・・菓子等のプラスティック製の袋を開けやすくするために袋の端に切り込みが入れてあります。ここを引っ張ると切込部分に力が集中して容易に袋の1部が裂け、一旦裂け始めるとその後は次々に裂け目が続いていきます。・・・今回の土砂崩れの写真を見ていると、三原山から噴出した溶岩等でできた急峻な斜面に道路を作り火山灰や軽石層からなる表層が削り取られプラスティックの袋の切り込みに相当する滑り始まり易い傷口を道路に沿って作ってしまった結果、最上部の道路に沿って土砂崩れが始まり、土石流となったのではないかと嘗て破壊現象を勉強していた者として感じています。そもそも急峻な斜面に道路を作って表層崩壊を起り易くしていたことが、問われるべきではないでしょうか」

わかりやすい説明で、山の中に道路をつくるときに、そういう計算もしてなかった?ことに驚いてしまう。


2013/10/26 (土) 00:37 | その他
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 リオ会議のウルグアイ大統領のスピーチを、打村明さんが翻訳された。

打村さんのサイトはこちらから。
http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/

緑の部分が転載部分です。 

なんということでしょう。リオ会議(Rio+20)は環境の未来を全世界で決めて行く会議で、日本メディアも新聞やテレビで大きく取り上げてきたのに、もっとも衝撃的で環境危機の本当の問題を唯一示し、考えさせられるウルグアイ大統領の本音スピーチを誰も日本語に訳していません!

こんな大事なスピーチですので、日本の皆様にも紹介したく未熟ながら翻訳しました。訂正点や思ったことがありましたらコメント欄にお書きください。

もう一つガッカリしたことがあります。

リオ会議に期待を寄せ、Youtubeで各首脳のスピーチや、かの有名な伝説のスピーチをしたサヴァン・スズキさんの映像も見ていました。リオ会議では各国首脳が集まり、地球の未来を議論し合う場なのに、各国首脳は自分のスピーチを終わらせたら、一人一人と消えて行ってしまいました。世界中から何時間もかけてこの場に来ているのに、みな人の話は聞かず自分のスピーチで済ませている代表者が多いリオ会議だったと思います。

ウルグアイのような小国の大統領は最後の演説者でした。彼のスピーチの時にはホールにはほとんど誰もいません。そんな中、カメラの前で残したスピーチは、その前まで無難な意見ばかりをかわし合う他の大統領とは打って変わって、赤裸々に思っていることを口にしています。世界で最も「貧乏」な大統領と言われているエル・ペペ(愛称)が世界に対してどんなメッセージを残したのでしょうか。私にとってはいつも考えなければならない重要なスピーチにもなりました。

ここから、ウルグアイ大統領のスピーチ。

会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。

しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?

なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?

マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

 私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?

このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。

現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。

ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。

このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。

石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。

昔の賢明な方々、エピクロスセネカアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。

国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。

私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。

そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。



2013/06/19 (水) 20:42 | その他
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 毎日新聞(2013年5月9日)東京夕刊から転載した(緑の文字の部分)

特集ワイド:息苦しさ漂う社会の「空気」 辺見庸さんに聞く

 高い支持率を誇る安倍晋三政権。膨らむ経済再生への期待。なのに、この息苦しさは何だろう。浮足立つ政治家や財界人の言葉が深慮に欠け粗くなる傍ら、彼らへの批判を自主規制しようとする奇妙な「空気」が漂っていないか。何が起きているのか。作家の辺見庸さん(68)に聞いた。【藤原章生】

 「イタリアの作家、ウンベルト・エーコはファシズムについて『いかなる精髄も、単独の本質さえもない』と言っている。エーコ的に言えば、今の日本はファシズムの国だよ」。「ファシズム」とは大衆運動や個人の行動がコラージュのように積み重なったもの。独裁者の言葉に突き動かされるのではなく、そんたくや自己規制、自粛といった日本人の“得意”な振る舞いによって静かに広がっていくということだ。

 ファシズムと聞くと全体主義、ムソリーニ独裁やヒトラーのナチスが浮かぶ。「そういう、銃剣持ってざくざく行進というんじゃない。ファシズムはむしろ普通の職場、ルーティンワーク(日々の作業)の中にある。誰に指示されたわけでもないのに、自分の考えのない人びとが、どこからか文句が来るのが嫌だと、個人の表現や動きをしばりにかかるんです」

 辺見さんは自らの体験を語った。月刊誌「すばる」2月号に発表した小説「青い花」を大幅加筆し、近く単行本として出版する。だが、雑誌での編集作業は言葉遣いを巡って大いにもめた。「頭のおかしくなった主人公のセリフで朕(ちん)をチンチンにするとか、政治家をからかうのは問題ないのに、例の『花は咲く』を揶揄(やゆ)したら、それだけはどうしてもダメだって言うんだ」

 「花は花は花は咲く」とNHKがよく流すせいで、嫌でも耳にするあの歌のことだ。「俺はあれが気持ち悪い。だってあの歌って(戦時中に隣組制度を啓発するために歌われた)『とんとんとんからりんと隣組』と一緒だよね。そう思って書いた部分を、編集者が『書き換えてほしい』って言う。文芸誌で何を書こうがいいじゃないか、なぜ遠慮しなくちゃならないのかって言うと、『あれはみんながノーギャラでやってて、辺見さんも自作をちゃかされたら嫌でしょ』と。もう目をぱちくりするしかないよね」

 それに絡み、生まれ育った宮城県石巻市の話になった。

「芸能タレントとテレビキャスターと政治家が我も我もと来て、撮影用に酒なんか飲んだりしてね。人々は涙を流して肩を組み、助け合ってます、復興してます、と。うそだよ。酒におぼれ、パチンコ行って、心がすさんで、何も信用できなくなってる人だって多い。PTSD(心的外傷後ストレス障害)ね。福島だって『花は咲く』どころじゃないんだよ。非人間的実相を歌で美化してごまかしている。被災者は耐え難い状況を耐えられると思わされてる」

 辺見さんは地中海人的だ。「何を唐突に」と思われるかもしれない。だが、著書「瓦礫(がれき)の中から言葉を」の中にある<根はとてつもなく明るいけれども、世界観と未来観についてはひどいペシミスト(悲観主義者)>や<あの荒れ狂う海が世界への入り口だったから、いつか、どんなことをしてもあの海のむこうに行くんだと決めていた>といった自己描写は、「南の思想」を著したイタリアの社会学者、フランコ・カッサーノの言う地中海人の定義にぴたっと収まる。

 カッサーノによれば、地中海人は強大な国家に虐げられた歴史から政府や多数派が求めるものを疑ってかかり、海の向こうに自由を求める。辺見さんも同じだ。引用するのはエーコや哲学者のジョルジョ・アガンベンらイタリア人が目立つ。感性の波がうまく共鳴するのだろう。

 「昔は気持ち悪いものは気持ち悪いと言えたんですよ。ところが今は『花は咲く』を毛嫌いするような人物は反社会性人格障害や敵性思想傾向を疑われ、それとなく所属組織や社会から監視されてしまうようなムードがあるんじゃないの? 政府、当局が押しつける政策や東京スカイツリー、六本木ヒルズ10周年といったお祭り騒ぎを疑う声だって、ほとんど出てこない。それが今のファシズムの特徴です。盾突く、いさかうという情念が社会から失われる一方、NHKの『八重の桜』や『坂の上の雲』のように、権力の命令がないのに日本人を賛美しようとする。皆で助け合って頑張ろう、ニッポンチャチャチャでやろうよと」

 安倍首相は靖国問題で「国のために尊い命を落としたご英霊に対して尊崇の念を表するのは当たり前のこと」と言い、「どんな脅かしにも屈しない自由を確保していく」と中国や韓国に反論した。

 「英霊でいいのに、ご英霊と言う。一言増えてきた」と注意を向けたうえで、辺見さんはこう語る。「安倍首相の言葉や閣僚の参拝に対し、国会でやじさえ飛ばない。野党にその感性がない。末期症状です。新聞の論調も中国、韓国が騒ぐから行くべきでないと言うばかりで、靖国参拝とはなんぞや、中国が日本にどんな恐怖感を持っているかという根本の議論がない」

この空気を支えるものは何か。キーワードとして辺見さんは、哲学者アガンベンが多用する「ホモ・サケル」を挙げた。「古代ローマの囚人で政治的、社会的権利をはぎ取られ、ただ生きているだけの『むき出しの生』という意味です。日本でもホモ・サケルに近い層、言わば人間以下として放置される人たちが増えている。80年代までは、そういう貧者が増えれば階級闘争が激しくなると思われていたけど、今は彼らがプロレタリアートとして組織化され立ち上がる予感は全くない。それどころか保守化してファシズムの担い手になっている。例えば橋下徹・大阪市長に拍手をし、近隣諸国との軍拡競争を支持する層の多くは非受益者、貧困者なんです」

 政治を野放しにするとどうなるのか。「安倍首相は官房副長官時代、官邸に制服組をどんどん入れ、02年の早稲田大の講演で『現憲法下でも戦術核を持てる』と語った。その考えは今も変わらないと思う。今の政権の勢いだと、いずれ戦術核の議論までいくんじゃないですかね。マスコミの批判は出にくいしね」

 言語空間の息苦しさを打ち破れるかは「集合的なセンチメント(感情)に流されず、個人が直感、洞察力をどれだけ鍛えられるかにかかっている。集団としてどうこうではないと思うね」と辺見さん。まずは自分の周り、所属する組織の空気を疑えということか。

 きわめて地中海人的な態度と言える。



2013/05/16 (木) 01:18 | その他
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  きょうは、憲法記念日。
テレビでも新聞でも憲法をテーマにしたものを多く目にした。
その中で、わかりやすかったのは、「憲法の想像力」の著者、木村草太さん(首都大学東京準教授)が出演されたニュース番組だった。
憲法は、3つの側面があり、ひとつには法技術的なもの、二つ目は、外交的、三つ目は歴史的な面と説明された。
アメリカや日本の憲法は世界の中でも解釈の幅が広いそうだ。
なので、9条にある防衛の中身も、そのときの世界情勢によって、たとえば、戦争がどこにもなく平和な世界なら防衛はほとんどしなくてもすむが、情勢が悪い時にはそれに対応した防衛が必要になってくる、それは、9条で十分対応できる、ただ、自民党の案のように軍、という言葉を盛り込むと、外交的に、意味のない警戒を招き、日本が不利益をこうむるので、わざわざ、変えることはない、と話された。

また、96条を変えることを自民党が提案しているが、憲法は、国の根幹に関わるものなので簡単に変えることができないようにできているそうだ。
たとえば、マンションの管理組合でも普段の自転車小屋の鍵についてどうするかなどのことは過半数で決めることができるが、マンションの改築のような建物そのものを変えることには、ほとんどの人が同意しないと変えることができないようになっている、というお話もわかりやすかった。

アメリカに押しつけられた憲法だからイヤだ!という意見について木村さんは、『住み心地の良いマンションがあって、それを施行した工務店が気に食わないから建て直すというのは費用対効果としてどうなのか』・・・わかりやすい!



2013/05/03 (金) 20:59 | その他
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  1月は、お正月が明けたと思ったら、新年会やいつもどおりの生活の始まりなどであっという間に過ぎていく感じがする。
すこやか会の今年初めての定例会は、恒例の不用品のバザーだった。
その後は、読んでよかった本の紹介や、ぷらりねっとの若い人たちとの共同作業の範囲を増やして行くことなど話し合った。
昨日は、味噌作りで集まった。手際よく作業が進み、その後は、お茶を飲みながら、料理の話などで盛り上がった。

すこやか会以外でも、先週は松江で新年会、今週は、出雲で新年会と、まだ、お正月気分が続いている。



2013/01/22 (火) 09:41 | その他
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 教師の体罰で自殺する、という痛ましい事件が、大阪で起きて、いまだに暴力の連鎖を断ち切れずにいることに、なぜ?という思いになる。
体罰も含めた暴力は、たいてい、強いものから弱いものへ 向けられる。
絶対的に力の差があるところに、暴力が使われることに卑怯なやり方だと思う。

今後、この問題やこれに横たわっている空気(体罰容認)のようなものがいったいどうやって連鎖していくのか、自民党政権になって公共事業へのバラマキが再開しそうだが、今後、どうなっていくのか、斉藤貴男さんの記事がわかりやすかった。

青い文字の部分は転載記事。

転載元  
http://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-7857.html

 大阪市の橋下徹市長が、男性教師の体罰を受けて自殺した市立高校生の遺族宅を訪れて謝罪した。面会後には記者団に「自分の認識は甘すぎた」と述べたという。

かねて体罰容認の発言を繰り返し、事件発覚後も、「ルール化できていなかったのが問題」「禁止は上っ面のスローガン」などと叫んできた姿勢を反省した格好だ。例によって世論の風向きに合わせたパフォーマンスだとしても、開き直られるよりはマシに違いない。

とはいえ気楽なものである。深刻な問題を狭い体験や思いつきだけを根拠にペラペラまくし立て、大事が起これば頭を下げてチャラ。案の定と言うべきか、はたして橋下市長は事件を教育委員会不要論や教育行政への首長権限強化に結びつける構えも隠していないのだ。

そもそも石原慎太郎氏にすり寄った人物を信用してよいはずがないではないか。石原氏は体罰バンザイの最右翼だ。あの戸塚ヨットスクールを「支援する会」の会長で、昨年の「東京ビッグトーク」では、「子どもが自我を育てていくためには体罰が不可欠だ。刷り込みが必要で、そのためには強い強制力が必要」だと言い切っている。2006年には文科省にイジメを苦に自殺を予告する手紙を送った主を大人の愉快犯と決めつけ、テレビ番組で「死ぬならさっさと死ね」と罵倒したことも。ただし今回はだんまり。相変わらず卑劣と無責任の塊だ。

教育問題ほど素人の床屋談議が幅を利かせやすい分野も珍しい。誰しも何らかの経験があるからだが、いくらなんでもこの手のゲス野郎にはお引き取り願わなくてはならない時期である。

安倍晋三新政権の方向性は明らかだ。原発のより一層の推進および市場原理主義に公共事業のバラマキを加えた大企業絶対の価値観の徹底、沖縄差別、さらには憲法改正で常にアメリカの戦争に付き従う体制の確立――。

新政権が今月下旬に発足させる「教育再生実行会議」の委員にも、作家の曽野綾子氏や高崎経済大学の八木秀次教授ら、やたら戦争や格差社会を礼賛したがる面々が内定した。副座長には三菱重工業の佃和夫会長が就任するそうだ。

愛国心の美名を盾に、他人の子どもを兵隊か労働力か息をするサイフとしてしか見なしていない手合いばかりがのさばりかえる時代。世襲権力者や軍需産業の親玉の類いに教育を差配されてたまるものか。

許せばわが子も私たち自身も奴隷にされる運命と知るべきである。

◇さいとう・たかお 1958年生まれ。早大卒。イギリス・バーミンガム大学で修士号(国際学MA)取得。日本工業新聞、プレジデント、週刊文春の記者などを経てフリーに。「東京電力研究 排除の系譜」「消費税のカラクリ」など著書多数。



2013/01/16 (水) 17:54 | その他
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  それほど広くない場所でもあっという間に草が伸びてしまう。
きょうは、いいお天気だったので草取りをした。
少し放っておいても、あっという間に、草だらけになる。
ちょっと長く放っておいたら、木や竹が生えている。
自然の力はすごい。
ときどき、可愛い花やなにかの実を見つけて残そうかどうかと迷ってしまうこともある。







2012/10/21 (日) 23:41 | その他
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  チャイルドラインしまねの講座やぷらりねっとのスーパーバイザーとしてお世話になっている臨床心理士の小村俊美さんから「家にいたら、突然、谷村新司さんがたずねてこられて驚いた」というお話を聞いた。小村さんのお宅は平田町の木綿街道にあり、テレビの取材だったとのこと。

小村俊美さんのブログでは、テレビ放映(日本海テレビ・遠くに行きたい)は、9月8日か15日のAM5時29分からとなっているが、同じ木綿街道の持田醤油さんのブログでは、9月22日となっている。
日本海テレビの番組表は、9月11日まで載っているが、8日の遠くに行きたいは、信州になっているので今のところ、15日か22日の可能性が高い。
番組の副題は「僕の湖 宍道湖! 一周47キロの旅」となっている。

出雲すこやか会でも今年のリクリェーションは、平田木綿街道を予定しているので、テレビ放映を楽しみにしている。


番組紹介の記事はこちらから


2012/09/04 (火) 09:48 | その他
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  先日、松江市の城西公民館で開催された子育て支援の講演会に参加した。
主催は、城西公民館の子ども育成部と城西プレーパーク実行委員会。
1部では、増山均さん(早稲田大学文学学術院教授)のお話を聞いた。
 
演題は「地域全体で子どもの育ちを支援する<地域社会の子育て力>に注目して」

最初に話されたことは、福島のことだった。
福島市在住の小さなこどもを抱えた息子さん一家が先生の家に放射能から逃れてこられて同居生活をしている。
思っていた以上に、放射能を避ける生活が大変で、ここ、松江のこどもたちは、そういうことを心配することなく、外でのびのびと遊べることだけでも幸せなこと、と言われ、フクシマ以降、東日本のこどもたちの暮らしが一変したことを改めて思い知らされた。

こども・子育てにおける問題として
1.安全・安心が揺らいでいる問題
2.地域社会の空洞化・崩壊の問題
3.子ども発達・環境の崩れの問題

1の安心・安全は、前段のお話のとおりであると思った。

また、地域の子育て力として、異年齢集団、若者の力、親たちの支えあい、ボランティア・NPO・行政による支援、文化伝統自然風土などについて説明された。

これらを踏まえて、地域の取り組みの見直す点として
1.「居させられ場所」づくりになっていないか
2.子ども主体(子どもの声・子どもの自治)が貫かれているか
3.「小さな住民・市民」として地域づくりの担い手に位置づいているか、などをあげられた。

私の思いをつけくわえれば、子どもが安心して暮らせる地域づくりは、住民のボランティアだのみでは解決できない。行政が、子どもを守るために本気で取り組むことがまずは大切だと思う。

 第2部はグループに分かれて話し合いをした。
私は、城西地域のことはよくわからず、話を聞く側にまわったが、子どもたちの転出入が多いところなどは、塩冶町と似ていると思った。印象に残ったのは、若い男性の出席もあり、本音を率直に話されていてたこと、また、高齢の男性が「老人会も子どもたちへの接し方など勉強するべきだ」と言われたことなどだった。

城西公民館のホームページはこちらから


2011/12/13 (火) 20:30 | その他
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 今年は、久しぶりに実家のある大津町側の斐伊川で花火があったので出かけた。
1万発の花火が次から次へと上がった。
最近ではほとんど花火を見ることはなかったので、その豪華さに驚いた。
子どものころは、やまたのおろちの神話にちなんで、8月8日に花火大会があった。
もっと素朴な花火大会だったが、子どもだったせいか、わくわくは今より大きかったような気がする。

後で母と盆踊り話をしたとき、母の記憶だと昔(60年ぐらい前?)、くすのき広場がある辺りで盆踊り大会があり、上位にはいつも荒茅音頭が入っていたとか。

8月20日に行われた神話まつりでは、この踊りが披露されたようだ。
募集要項にある出雲盆踊りの説明には、「出雲市の無形文化財に指定されている歴史ある荒茅盆踊りの曲に各地域の個性を表現した詩をあわせ、踊りを披露する音頭」とある。
出雲神話まつり実行委員会ではこれのDVDの貸し出しも行っているそうだ。




2011/08/21 (日) 18:21 | その他
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